ostina日本史ジム日本史の一問一答

ホーム > 中世 > 鎌倉幕府の成立と執権政治

鎌倉幕府の成立と執権政治の一問一答と流れの解説

治承・寿永の乱から御恩と奉公、北条氏の台頭、承久の乱、執権政治までをたどる第7章です。まず流れの解説を読み、一問一答(32問)と、用語から説明を選ぶ4択で確認します。

解説を読む

一度の正解は「正解済み」、別の日にも正解すると「定着」と表示します。

流れの解説

治承・寿永の乱と頼朝の政権

平氏が朝廷で勢力を強めると、それに反発する動きが各地に広がりました。1180年、後白河法皇の皇子である以仁王が平氏討伐を呼びかけ、源頼朝も挙兵しました。頼朝は東国の武士をまとめて鎌倉を拠点とし、戦いを進めながら支配の仕組みを整えました。このころから1185年まで続いた治承・寿永の乱は、源平合戦とも呼ばれます。

頼朝の弟の源義経らは西国で平氏と戦い、屋島を経て1185年の壇ノ浦の戦いで平氏を破りました。安徳天皇もこの戦いで入水しました。しかし、頼朝が武士をまとめる政権を築く過程と、平氏を倒す戦闘の過程は同じものではありません。頼朝は弟の義経とも対立し、その追討を理由として朝廷に守護・地頭の設置を求めました。1192年に後鳥羽天皇のもとで征夷大将軍に任じられたことも一つの節目ですが、鎌倉幕府の成立をこの年だけで説明しません。

鎌倉殿と御家人、支配を支える役所

武士たちは幕府の首長を鎌倉殿と呼び、鎌倉殿と直接の主従関係を結んだ武士は御家人として政権を支えました。主君から家臣への恩恵が御恩で、以前から持つ土地の権利を保障する本領安堵や、功績に対して新たな土地を与える新恩給与などが含まれます。これに対し、御家人は戦いへの参加や警備などの奉公を果たしました。土地の権利を守りたい武士の要求と、武士の軍事力を必要とする政権の要求が結び付く仕組みでした。

守護は国ごとに置かれ、大犯三か条の職務を担いました。地頭は荘園や公領で年貢の徴収や土地の管理などに関わりました。地頭を置くことは御家人の権利を支える一方、荘園領主などとの権利の重なりから争いを生むこともありました。武家の支配が広がっても、朝廷・寺社・荘園領主の権限が一度に消えたわけではありません。

頼朝は御家人を統率する侍所を置き、和田義盛を初代別当としました。公文所を前身とする政所は将軍の家政や財政などを扱い、大江広元が別当として幕府の事務や朝廷との折衝に関わりました。三善康信を初代執事とする問注所は訴訟の事務を担いました。武力だけでなく、文書による行政や争いを処理する仕組みも政権の維持に必要だったのです。

源氏将軍の継承と北条氏の台頭

1199年に頼朝が死ぬと、その子の源頼家が跡を継ぎ、1202年に第2代将軍となりました。頼家のもとでは有力御家人の合議が行われ、将軍とその周辺だけで政治を決めることが難しくなりました。後継者をめぐる対立と有力御家人間の争いの中で、頼朝の妻北条政子の実家である北条氏が勢力を伸ばしました。

1203年、北条時政らが頼家を退け、弟の源実朝を第3代将軍に立てました。時政は初代執権として幕府政治を主導し、のち第2代執権の北条義時が実権を強めました。1219年には実朝が鶴岡八幡宮で公暁に殺され、頼朝から続く源氏将軍は3代で途絶えました。将軍の継承が不安定になる中でも、御家人のまとまりと幕府の仕組みは残り、北条氏を中心とする政治が続きました。

承久の乱と六波羅探題

朝廷と幕府の間では、地頭の権限や将軍の後継などをめぐって対立が生じました。1221年、後鳥羽上皇は北条義時の追討を命じ、承久の乱が起こりました。北条政子は頼朝から受けた恩を御家人に思い起こさせ、幕府側の結束を促したと伝えられます。土地の権利や幕府との主従関係を守ることが、幕府側に加わる武士の判断に関わりました。

幕府側が勝利すると、後鳥羽上皇は隠岐に流されました。幕府は京都に六波羅探題を置き、朝廷の監視や西国の御家人の統制などを担わせました。上皇方から没収した土地には新たに地頭が配置され、幕府の影響が西国にも広がりました。承久の変とも呼ばれるこの戦いは、公武の力関係と土地をめぐる権利関係を変える契機になりましたが、朝廷そのものをなくしたわけではありません。

泰時の合議と御成敗式目

第3代執権の北条泰時は、執権を補佐する連署と協力して政務を進め、1225年には評定衆を設けました。有力御家人や実務に通じた人々が重要な政務や裁判を合議で扱うことは、一人の判断だけに頼らず争いを処理する仕組みにつながりました。

土地の権利などをめぐる訴えに対して、判断の基準を示す必要もありました。泰時は1232年、武家の慣習や道理を踏まえて御成敗式目を制定しました。制定時の年号から貞永式目とも呼ばれます。これは武家社会の裁判を支える基準であり、朝廷の律令や寺社・荘園領主側の法を全国一律に置き換えるものではありません。合議の仕組みと法の整備を合わせて捉えることで、執権政治が御家人社会の秩序を支えようとしたことが分かります。

一問一答

問題一覧を開き、答えの帯を押すと答えが出ます。

全問題の一覧を見る
  1. 1
    後鳥羽天皇の時代、1192年に征夷大将軍に任じられた鎌倉幕府の初代将軍は誰か。
    源頼朝
  2. 2
    源頼朝が政権を築いた12世紀末、国ごとに置かれ、大犯三か条の職務を担った役職は何か。
    守護
  3. 3
    源頼朝が政権を築いた12世紀末、荘園や公領に置かれ、年貢の徴収や土地の管理などを担った役職は何か。
    地頭
  4. 4
    1221年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府の打倒を図り、幕府側が勝利した戦いは何か。
    承久の乱別解:承久の変
  5. 5
    鎌倉幕府の第3代執権北条泰時が1232年に制定した、武家の裁判の基準となる法は何か。
    御成敗式目別解:貞永式目
  6. 6
    鎌倉幕府の第3代執権として、評定衆を設け、1232年に武家の裁判の基準となる法を制定した人物は誰か。
    北条泰時
  7. 7
    後白河法皇の時代、1180年から1185年に源氏と平氏を中心に各地で繰り広げられた内乱は何か。
    治承・寿永の乱別解:治承寿永の乱、治承・寿永の内乱、治承寿永の内乱、源平合戦、源平の合戦、源平の争乱
  8. 8
    1180年、平氏討伐を呼びかける令旨を出し、源頼朝らの挙兵のきっかけをつくった後白河法皇の皇子は誰か。
    以仁王別解:高倉宮
  9. 9
    1185年、源義経の軍が長門国の海上で平氏を破り、安徳天皇が入水した戦いは何か。
    壇ノ浦の戦い別解:壇の浦の戦い、壇ノ浦の戦、壇の浦の戦、壇ノ浦の合戦、壇の浦の合戦
  10. 10
    後白河法皇の時代、源頼朝の弟として平氏との戦いに加わり、1185年の屋島・壇ノ浦で活躍した武将は誰か。
    源義経
  11. 11
    源頼朝を初代将軍とする鎌倉幕府で、武士たちの主君である幕府の首長を指した呼び名は何か。
    鎌倉殿
  12. 12
    源頼朝を初代将軍とする鎌倉幕府で、幕府の首長と直接の主従関係を結んだ武士を何というか。
    御家人
  13. 13
    源頼朝を初代将軍とする鎌倉幕府で、主君が家臣の土地の権利を保障したり、新たな土地を与えたりする恩恵を何というか。
    御恩
  14. 14
    源頼朝を初代将軍とする鎌倉幕府で、家臣が主君に対して出陣や警備などの務めを果たすことを何というか。
    奉公
  15. 15
    源頼朝を初代将軍とする鎌倉幕府で、御家人が以前から持っていた所領の権利を認め、保障することを何というか。
    本領安堵
  16. 16
    源頼朝を初代将軍とする鎌倉幕府で、御家人の功績に対し、新たな所領を恩賞として与えることを何というか。
    新恩給与別解:新恩給付
  17. 17
    1180年、源頼朝が鎌倉に置き、御家人の統率や軍事・警察の仕事を担わせた機関は何か。
    侍所
  18. 18
    1180年、源頼朝によって鎌倉幕府の初代侍所別当に任じられた、三浦氏の一族に属する武将は誰か。
    和田義盛
  19. 19
    初代将軍源頼朝の時代の鎌倉幕府で、公文所を前身とし、将軍の家政や財政などの事務を担った機関は何か。
    政所
  20. 20
    1184年に源頼朝のもとで公文所別当となり、のち政所別当として幕府の事務や朝廷との折衝に関わった文官は誰か。
    大江広元別解:中原広元
  21. 21
    初代将軍源頼朝の時代の鎌倉幕府で、三善康信を初代執事とし、訴訟に関する事務を担った機関は何か。
    問注所
  22. 22
    1203年に第2代将軍源頼家を退け、源実朝を擁立して鎌倉幕府の初代執権となった人物は誰か。
    北条時政
  23. 23
    1199年に父源頼朝の跡を継ぎ、1202年に鎌倉幕府の第2代将軍に任じられた、北条政子の長男は誰か。
    源頼家
  24. 24
    第2代将軍源頼家の弟で、鎌倉幕府の第3代将軍となり、1219年に鶴岡八幡宮で公暁に殺された人物は誰か。
    源実朝
  25. 25
    1221年の承久の乱で、源頼朝から受けた恩を御家人たちに説き、幕府側の結束を促したと伝えられる頼朝の妻は誰か。
    北条政子
  26. 26
    1221年の承久の乱の後、鎌倉幕府が京都に置き、朝廷の監視や西国の御家人の統制などに当たらせた機関は何か。
    六波羅探題
  27. 27
    1221年の承久の乱で、後鳥羽上皇から追討の対象とされた鎌倉幕府の第2代執権は誰か。
    北条義時
  28. 28
    第3代執権北条泰時の時代に整えられ、執権を補佐して幕府の重要な文書にともに署名した役職は何か。
    連署
  29. 29
    第3代執権北条泰時が1225年に設け、幕府の重要な政務や裁判を合議で扱うために集めた人々を何というか。
    評定衆
  30. 30
    後鳥羽天皇の時代、初代将軍源頼朝が征夷大将軍に任じられた年は何年か。
    1192
  31. 31
    第2代執権北条義時の時代、後鳥羽上皇と幕府が戦った承久の乱が起こった年は何年か。
    1221
  32. 32
    第3代執権北条泰時が御成敗式目を制定した年は何年か。
    1232

用語から説明を選ぶ(4択)

用語を見て、正しい説明を4つから選びます。似た種類の用語の説明と比べて選びます。回答後に正しい用語との対応を確認できます。キーボードでは1〜4で選べます。

← 院政と武士の台頭蒙古襲来と鎌倉時代の社会・文化 →