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院政と武士の台頭の一問一答と流れの解説

地方の武士と荘園、院政から平氏政権までをたどります。まず流れの解説を読み、一問一答(30問)と、用語から説明を選ぶ4択で確認します。

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一度の正解は「正解済み」、別の日にも正解すると「定着」と表示します。

流れの解説

地方の武士と東北の権力

地方で土地や人々の支配をめぐる争いが起こると、武力を持つ集団が成長しました。10世紀、関東の平将門は新皇を名乗って朝廷に反抗し、藤原純友は瀬戸内海を中心に反乱を起こしました。両者を合わせて承平天慶の乱と呼びます。940年に将門の反乱が鎮圧された際にも、朝廷は地方の武士の力を利用しました。地方の秩序を守る役割が武士の立場を強めたのです。

東北では前九年合戦と後三年合戦を通じて武士の勢力関係が変わりました。戦いの後、藤原清衡を祖とする奥州藤原氏が平泉を拠点に力を持ちました。中尊寺などの造営は、地域の富が寺院や文化に結び付いたことを示します。朝廷の命令が届く範囲にあっても、東北の政治や経済は京都と同じ形で動いたわけではありません。地域の有力者が生産や交易を掌握し、独自の支配を築きました。

武士の力は、武器を扱う個人だけで成り立ったのではありません。家族や一族、従者との結び付き、所領から得る収益が集団を支えました。地方の争いを処理した武士は、朝廷の官職や都の有力者との関係を利用して権利を守りました。土地の保護を求めて貴族や寺社へ近づく動きと、現地で武力を行使する動きが同じ地域で進みました。源氏や平氏の名を持つ武士の集団も、各地の人々との主従や婚姻を通じて力を広げ、のちに中央の政争へ参加する基盤を作りました。

荘園と公領の支配

地方の土地所有者は、有力な貴族や寺社に土地を寄進して保護を求めました。こうして広がった寄進地系荘園では、寄進した者が現地の管理に関わりながら、有力者の権威を利用して権利を守りました。不輸の権は税の免除、不入の権は国司の立入りを排除する権利です。すべての荘園が同じ権利を持つわけではなく、個々の土地で支配や収益の配分が重なりました。

荘園と国司が支配する公領が併存する仕組みを荘園公領制と呼びます。皇族や貴族が国司の推挙などを通じて国の収益を得る知行国もありました。土地の収益は、都の貴族や寺社だけでなく現地の管理者を支えました。荘園の拡大は朝廷の消滅を意味せず、国家の制度と有力者の権利が結び付いていました。この重なる権利関係の中で、武士も土地を守る役割を担いました。

白河・鳥羽の院政

1086年、白河天皇は退位した後も上皇として政治を行い、院政が始まりました。天皇の位を子へ譲っても、皇位継承や人事、土地からの収益を掌握して影響力を保ったのです。院庁は上皇の政務や文書を扱い、北面の武士は上皇の警護などを担いました。上皇の権力も、官人の実務と武士の軍事力、荘園や知行国の収入によって支えられました。

荘園の整理では、後三条天皇が院政に先立って設けた記録荘園券契所が、荘園の権利を示す文書を審査する先例となっていました。鳥羽上皇も多くの荘園などを基盤に政治へ関わりました。院政は摂政・関白を一度になくした制度ではありません。天皇、上皇、摂関家の関係が変わり、皇位継承と各家の権益が政治の争点になりました。武士が上皇の周囲に仕えたことは、軍事力が中央の政治対立に利用される機会を増やしました。

保元・平治の乱と平氏

1156年の保元の乱では、皇位継承や摂関家の争いに源氏と平氏の武士が加わりました。続く平治の乱でも中央の政争が武力で争われ、平清盛が勢力を強めました。武士は朝廷から独立した集団としてだけ行動したのではなく、貴族や皇族と結び付きながら政治に参加しました。争いの勝敗は武士の昇進や所領にも影響し、清盛が朝廷で地位を高めるきっかけになりました。

清盛は娘を天皇の后とするなど、宮廷の婚姻関係も利用して権力を築きました。武力とともに官職や皇室とのつながりが平氏の政治を支えたのです。朝廷内の勢力争いは続き、平氏に対する反発も強まりました。平氏の台頭までをこの章で扱い、以仁王の令旨と源頼朝らの挙兵から始まる治承・寿永の乱は、第7章の鎌倉政権の形成へ続きます。

日宋貿易と院政期の文化

清盛は大輪田泊を整備し、日宋貿易を進めました。瀬戸内海の交通と港を利用することで、中国からの物資を都や国内の流通へ結び付けました。交易の利益は平氏の経済的な基盤にも関わり、海上交通を押さえることは軍事と政治の双方に意味を持ちました。清盛が福原を政治の拠点としたことも、港や瀬戸内海との関係を背景にしています。

院政期には貴族と武士、寺社、庶民の活動が文化の担い手として交わりました。鳥獣戯画は動物などを墨の線で描いた絵巻です。後白河法皇が編纂に関わった梁塵秘抄には、流行した今様が集められました。農作業に伴う儀礼から発展した田楽も、貴族や寺社に受け入れられました。宮廷の文学だけでなく、人々の歌や芸能が上皇の関心や寺社の場と結び付き、院政期の文化を形成しました。

一問一答

問題一覧を開き、答えの帯を押すと答えが出ます。

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  1. 1
    10世紀、関東で朝廷に反抗して新皇を名乗った武将は誰か。
    平将門
  2. 2
    10世紀、瀬戸内海を中心に朝廷に対して反乱を起こした武将は誰か。
    藤原純友
  3. 3
    10世紀、平将門と藤原純友が関東・瀬戸内で起こした反乱を総称する名称は何か。
    承平・天慶の乱別解:承平天慶の乱
  4. 4
    11世紀の東北で、安倍氏と朝廷側が戦い、源頼義・義家らが活躍した戦争は何か。
    前九年合戦別解:前九年の役
  5. 5
    11世紀の東北で、清原氏の内紛に源義家が関わった戦争は何か。
    後三年合戦別解:後三年の役
  6. 6
    11世紀、東北での戦いを経て平泉を拠点とする勢力を築いた藤原氏の人物は誰か。
    藤原清衡
  7. 7
    12世紀、平泉を拠点に東北で勢力を持った藤原氏の一族を一般に何というか。
    奥州藤原氏
  8. 8
    12世紀の平泉で、藤原清衡が造営し、金色堂でも知られる寺院は何か。
    中尊寺
  9. 9
    11世紀以降、有力者へ土地を寄進して保護を受けることで発達した荘園を何というか。
    寄進地系荘園
  10. 10
    11世紀以降の荘園で、国司の税の取り立てを免れる権利は何か。
    不輸の権
  11. 11
    11世紀以降の荘園で、国司の使者などの立入りを拒む権利は何か。
    不入の権
  12. 12
    平安時代末、荘園とそれ以外の土地からなる土地支配の枠組みを何というか。
    荘園公領制
  13. 13
    平安時代末、皇族や貴族が国司の推挙などを通じて収益を得た国を何というか。
    知行国
  14. 14
    後三条天皇の時代、荘園の権利を審査し、整理を進めるために置かれた機関は何か。
    記録荘園券契所
  15. 15
    白河天皇が退位した後、上皇として政治を主導する仕組みを何というか。
    院政
  16. 16
    白河上皇の時代、上皇の政務や文書を扱う機関は何か。
    院庁
  17. 17
    白河上皇の時代、上皇の警護などのために置かれた武士は何か。
    北面の武士
  18. 18
    12世紀、熊野への参詣を重ね、長く院政を行って武士とも関わった、白河院の孫に当たる上皇は誰か。
    鳥羽上皇
  19. 19
    後白河天皇の時代、1156年に皇位や摂関家の対立から起こった内乱は何か。
    保元の乱
  20. 20
    二条天皇の時代、1159年に平清盛と源義朝らが争った内乱は何か。
    平治の乱
  21. 21
    12世紀、保元・平治の乱を経て勢力を伸ばし、太政大臣となった武将は誰か。
    平清盛
  22. 22
    後白河上皇の時代、平氏政権が積極的に進めた中国の王朝との貿易は何か。
    日宋貿易
  23. 23
    12世紀、平清盛が整備し、瀬戸内海の海運や貿易の拠点となった港は何か。
    大輪田泊
  24. 24
    安徳天皇の時代、平清盛が1180年に一時都を移した場所はどこか。
    福原
  25. 25
    院政期の絵画で、動物などを描き、墨の線を生かした表現でも知られる絵巻は何か。
    鳥獣戯画別解:鳥獣人物戯画
  26. 26
    後白河法皇が編纂に関わり、院政期に流行した今様を集めた歌謡集は何か。
    梁塵秘抄
  27. 27
    院政期、農作業に伴う儀礼から発展し、貴族や寺社にも受け入れられた芸能は何か。
    田楽
  28. 28
    10世紀、平将門の反乱が朝廷側の軍によって鎮圧された年は何年か。
    940
  29. 29
    白河天皇が退位し、本格的に院政を始めた年は何年か。
    1086
  30. 30
    後白河天皇の時代に保元の乱が起こった年は何年か。
    1156

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