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建武の新政と南北朝・室町幕府の一問一答と流れの解説

建武の新政から南北朝・室町幕府、東アジアと地域の交流をたどります。まず流れの解説を読み、一問一答(30問)と、用語から説明を選ぶ4択で確認します。

解説を読む

一度の正解は「正解済み」、別の日にも正解すると「定着」と表示します。

流れの解説

鎌倉幕府の滅亡と建武の新政

後醍醐天皇の倒幕の動きに、幕府を離れる武士が加わりました。1333年、新田義貞が鎌倉を攻め、鎌倉幕府は滅亡しました。後醍醐天皇は天皇を中心とする建武の新政を進め、政治の機関を設けました。記録所は重要な政務を扱う中央機関として再興され、雑訴決断所は京都で所領に関する訴訟を扱いました。所領の権利を確認する仕事と、国家の重要な政務を扱う仕事は同じではありません。

新政府には倒幕に参加した武士の恩賞や、土地の争いを処理する必要がありました。天皇の命令を通じて権利を認める政治に対し、武士側の要求が十分に調整されない場合もありました。後醍醐天皇と足利尊氏の対立は軍事的な争いへ進み、天皇を中心とする新政は続きませんでした。幕府を倒す際に協力した勢力が、政権を維持する制度や恩賞の配分まで共通の方針を持っていたわけではありません。

南北朝と幕府内部の対立

尊氏が擁立した天皇を中心に京都の北朝が成立し、後醍醐天皇は吉野へ移って南朝を開きました。二つの朝廷が並立すると、各地の武士の所領や勢力争いもその対立と結び付きました。北畠親房は神皇正統記で皇位継承の正統性を論じました。その記述は南朝側の立場を持つもので、どちらの朝廷も同じように描く中立的な年表ではありません。

尊氏は1336年に建武式目を示し、幕府の政治方針を定めました。弟の足利直義は訴訟や行政を担いましたが、のちに尊氏側と対立し、観応の擾乱が起こりました。幕府の内争は南北朝の争いにも重なり、武士の所属が変わる場合がありました。朝廷の二分と幕府内部の対立は別々の出来事でありながら、軍事力と所領の配分を通じて互いに影響しました。

守護大名と政務の仕組み

戦乱の中で守護は地域の軍事力と土地への関与を強めました。半済は年貢の一部を兵粮料として徴収する制度で、守護が土地の収益を支配する足掛かりになりました。国を単位に力を持った守護大名は、幕府を支える一方、領国内でも家臣や国人との関係を築きました。土地から得る収入が軍事力を支え、その軍事力が収益を確保する関係が広がりました。

幕府の政務を統括して将軍を補佐した管領には、細川氏・斯波氏・畠山氏が就きました。侍所の長官は所司と呼ばれ、一色氏・赤松氏・京極氏・山名氏という四職の家が担当しました。これらの役職は有力な守護の家と結び付き、幕府は諸大名の協力で運営されました。料所からの年貢などは財政を支えましたが、幕府が全国の土地の収益を一律に直接集めたわけではありません。

義満・義教と明との貿易

第3代将軍足利義満は京都に花の御所を営み、1392年に南北朝の合一を進めました。朝廷の並立が解消されると、幕府は公武の関係を調整しながら権威を高めました。15世紀初めには明との正式な日明貿易が始まりました。勘合で正式な貿易船を確認するため、勘合貿易とも呼ばれます。明は沿岸で活動する倭寇への対応を求め、正式な外交と私的な交易を区別する仕組みを設けていました。

輸入品や貿易の利益は幕府や有力者の経済に関わりました。海上で活動した倭寇は、時期や地域によって構成が異なる集団で、国家間の外交だけでは海域の動きを説明できません。第6代将軍足利義教は守護大名への統制を強めましたが、1441年に赤松満祐に殺害され、嘉吉の変が起こりました。将軍の統制に対する有力大名の行動は、その後の幕府と大名の力関係を変えました。

貿易船には商品だけでなく、僧侶や使者、書物や美術品なども乗りました。幕府が明との関係を整えることは、国内へ入る物資と知識の経路を確保する意味も持ちました。勘合は正式な船を確認する制度であって、海域のすべての人々を同じ仕組みで管理できるものではありません。港の商人や地方の有力者も取引に関わり、国家の外交関係と民間の活動が重なりました。室町幕府の財政と権威は、国内の土地収入や大名との協力に加え、海を通じる関係によっても支えられました。

琉球と北海道の交流

1429年、尚巴志は琉球の三山の統一を完成させました。琉球王国は明や日本、東南アジアとの交易を結び、海を通じて物資と文化を取り入れました。王権の成長は地域内部の統一だけでなく、海外との外交や交易の利益にも支えられました。琉球の政治や文化は京都の朝廷・幕府の制度と同じものではなく、独自の王国の歴史として展開しました。

北海道では、狩猟・漁労や交易などを基盤とするアイヌ文化が形成されました。独自の言語や信仰を持つ人々は、周辺地域とも物資を交換しました。琉球と北海道を同じ政治制度で治められた地域とすることはできません。海路や地域の生産を通して結ばれる人々の活動があり、列島の歴史には幕府と諸大名の政治だけでは現れない関係も存在していました。

一問一答

問題一覧を開き、答えの帯を押すと答えが出ます。

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  1. 1
    後醍醐天皇の時代、鎌倉幕府に背き、1333年に鎌倉を攻めた武将は誰か。
    新田義貞
  2. 2
    後醍醐天皇が鎌倉幕府滅亡後に進めた政治を何というか。
    建武の新政
  3. 3
    後醍醐天皇の政治に対抗し、のち室町幕府の初代将軍となった武将は誰か。
    足利尊氏
  4. 4
    後醍醐天皇の建武の新政期、重要な政務を扱う中央機関として再興された機関は何か。
    記録所
  5. 5
    後醍醐天皇の建武の新政期、所領に関する訴訟を扱うため京都に設けられた機関は何か。
    雑訴決断所
  6. 6
    後醍醐天皇と足利尊氏の対立後、吉野を拠点に皇統を継いだ朝廷は何か。
    南朝
  7. 7
    足利尊氏が擁立した天皇を中心に、京都を拠点とした朝廷は何か。
    北朝
  8. 8
    南北朝時代、皇位継承の正統性を論じ、『神皇正統記』を著した人物は誰か。
    北畠親房
  9. 9
    足利尊氏が1336年に示し、幕府の政治方針を定めた法文は何か。
    建武式目
  10. 10
    南北朝時代、足利尊氏と弟の直義らが対立し、幕府内に生じた争乱は何か。
    観応の擾乱別解:観応のじょう乱
  11. 11
    室町幕府初代将軍足利尊氏の弟で、幕府の訴訟や行政を担った人物は誰か。
    足利直義
  12. 12
    南北朝時代に守護が年貢の一部を兵粮料として徴収した制度は何か。
    半済
  13. 13
    室町時代、国単位で勢力を持つようになった守護を一般に何というか。
    守護大名
  14. 14
    室町幕府で将軍を補佐し、政務を統括した職は何か。
    管領
  15. 15
    室町時代、室町幕府の管領を出す家として、細川・斯波とともに知られる一族は何か。
    畠山氏
  16. 16
    室町時代、室町幕府の侍所長官を出した四職の家の一つで、赤松・京極・山名と並ぶ一族は何か。
    一色氏
  17. 17
    室町時代、室町幕府で侍所の長官を指した役職名は何か。
    所司
  18. 18
    室町幕府の第3代将軍で、南北朝の合一を進め、日明関係を整えた人物は誰か。
    足利義満
  19. 19
    室町幕府第3代将軍足利義満が営み、室町幕府の別名の由来となった京都の邸宅は何か。
    花の御所
  20. 20
    室町幕府第3代将軍足利義満の時代、幕府や大名が経営し、年貢収入などを財政に利用した土地を何というか。
    料所
  21. 21
    15世紀初め、足利義満の時代に始まり、正式な船の証明を用いた明との貿易は何か。
    日明貿易別解:勘合貿易
  22. 22
    室町幕府第3代将軍足利義満の時代、日明間の正式な貿易船を確認するため用いた証明は何か。
    勘合
  23. 23
    室町時代、東アジアの海域で活動し、明や朝鮮の沿岸にも被害を与えた武装集団は何か。
    倭寇
  24. 24
    室町幕府第6代将軍で、守護大名への統制を強めたが、1441年に殺害された人物は誰か。
    足利義教
  25. 25
    室町幕府第6代将軍足利義教が赤松満祐に殺された事件は何か。
    嘉吉の変
  26. 26
    15世紀、琉球で三山の統一を進めた王は誰か。
    尚巴志
  27. 27
    中世の北海道で、交易や狩猟などを基盤として形成された独自の文化は何か。
    アイヌ文化
  28. 28
    後醍醐天皇の時代に鎌倉幕府が滅亡した年は何年か。
    1333
  29. 29
    室町幕府第3代将軍足利義満の時代に南北朝の合一が行われた年は何年か。
    1392
  30. 30
    15世紀、琉球の尚巴志が三山の統一を完成させた年は何年か。
    1429

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