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室町時代の社会と応仁の乱の一問一答と流れの解説

村と都市の自治、応仁の乱、室町文化をたどります。まず流れの解説を読み、一問一答(30問)と、用語から説明を選ぶ4択で確認します。

解説を読む

一度の正解は「正解済み」、別の日にも正解すると「定着」と表示します。

流れの解説

惣村の共同運営と一揆

室町時代の村では、住民が共同で生活や生産を管理する惣村が発達しました。惣掟で村の規則を定め、森林や土地などを入会によって共同利用しました。水や森林を利用する順序、共同の労働、村の秩序は、一戸の判断だけでは決められません。領主へ年貢をまとめて納める地下請では、村が徴収と納入の責任を引き受けました。自治的な運営は、領主への負担から独立していたという意味ではありません。

共同の目的を持つ人々の結束や行動を一揆と呼びます。借金の帳消しなどを求める土一揆は、村の共同体と市場の取引が結び付いて起こりました。人々が貨幣を借りて生活や生産を続ける一方、返済できなければ土地や財産を失うことがありました。村の結束は共同作業だけでなく、領主や金融業者への要求を集団で示す基盤にもなりました。

商業・金融と都市の自治

商工業者は寺社などの保護を受け、同業者の組織である座を結成しました。特権や保護を得る代わりに負担を納める関係は、市場で営業する条件を定めました。問丸は商品の集散や輸送の手配に関わり、廻船は港の間で物資を運びました。農村の生産と都市の消費をつなぐには、商品を作る人だけでなく、運ぶ人、保管する人、取引を仲介する人が必要でした。

土倉は質物を取って金銭を貸し、酒屋も酒の製造・販売とともに金融に関わりました。金融業者は都市の経済を支える一方、徳政を求める一揆の対象にもなりました。和泉国の堺は対外交易で成長し、商人を中心とする自治的な運営が行われました。都市の富と共同の運営は政治への対応力も支えましたが、周囲の大名や幕府との関係から自由だったわけではありません。

村で作られる商品を都市へ届ける輸送路には、港や市、街道沿いの拠点がありました。荷物を扱う業者と金銭を貸す業者の活動は、農村の収穫や商人の資金繰りにも影響しました。座の特権は営業を守る一方、外から参入する人々の活動を制限する場合もありました。都市の自治的な運営は共同の利益を守るための仕組みで、住民の間に経済的な差がないことを意味しません。村と都市の共同体は、年貢や税、交易の利益をめぐって領主と交渉する基盤にもなりました。

応仁の乱と地域の変化

1467年、第8代将軍足利義政の時代に応仁の乱が始まりました。将軍の後継者をめぐる争いに加え、有力な大名の家督争いや勢力関係が重なりました。東軍の細川勝元と西軍の山名宗全を中心に、諸大名が京都で戦いました。義政の後継者問題だけを原因とするのではなく、幕府を支える大名同士の対立が大規模な内乱に結び付いたのです。

京都での戦いが続くと、大名の領国でも家臣や地域の武士が力を伸ばしました。1485年の山城国一揆では住民らが畠山両軍を退去させ、地域の自治を行いました。1488年の加賀の一向一揆では一向宗の門徒らが守護富樫政親を倒しました。村の結束と信仰のつながりは、ともに領主に対抗する集団を作る基盤になりました。すべての一揆が同じ構成や目的を持ったわけではなく、地域ごとの条件によって行動が異なりました。

北山・東山の文化

第3代将軍足利義満のころの北山文化では、公家と武家の文化が融合しました。義満の北山の山荘を寺に改めた鹿苑寺には金閣があります。将軍が朝廷や寺院と関係を結んだことは、文化の担い手や様式にも影響しました。第8代将軍義政のころの東山文化では、禅や簡素な美意識と関わる表現が広がりました。義政の山荘を寺に改めた慈照寺には銀閣があります。

両文化は一方が他方を完全に置き換えたものではありません。将軍や貴族の保護、寺院の交流、商人や職人の技術が重なって作品や建物を生みました。村田珠光は茶の湯に簡素な精神性を取り入れ、わび茶の基礎を築きました。茶を飲む場は物品の鑑賞や人々の交流と結び付き、禅寺や都市の人々の活動が武家の文化にも取り入れられました。

芸能・絵画・学問の担い手

観阿弥とその子世阿弥は猿楽を発展させました。世阿弥の風姿花伝は、芸の伝承や演じ方に関わる著作です。寺社の行事や武家の保護、観客の存在が芸能を支え、担い手は技を受け継ぎながら演目を磨きました。宮廷だけで作られる文化ではなく、さまざまな身分の人々が見る場や支援する場があったことが、芸能の発達につながりました。

雪舟は宋・元の絵画を学び、水墨画を発展させました。禅僧の活動や大陸との交流は、絵画の技法と作品が伝わる経路でした。関東の足利学校では儒学の学習や書籍の収集が行われ、学問の拠点は京都だけではありませんでした。貴族・武家・寺社・都市の人々の間を技術や書物が移動し、政治が不安定な時期にも各地で文化と教育が続けられました。

一問一答

問題一覧を開き、答えの帯を押すと答えが出ます。

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  1. 1
    室町時代、村の住民が共同で運営し、自治的な活動を行った村落を何というか。
    惣村
  2. 2
    室町時代、村落の共同体が定めた自治の規則を何というか。
    惣掟別解:惣村の掟
  3. 3
    室町時代、村の住民が共同で土地や施設を利用し、森林などから得る利益を共有した利用を何というか。
    入会
  4. 4
    室町時代、村が領主へ年貢を一括して納める方式は何か。
    地下請
  5. 5
    室町時代、同じ目的で結束した人々の集団や、その集団による行動を何というか。
    一揆
  6. 6
    室町時代、借金の帳消しなどを求めた農民らの集団行動を何というか。
    土一揆
  7. 7
    室町時代、商工業者が寺社などの保護を受けて結成した同業者の組織は何か。
    座
  8. 8
    室町時代、物資の集散や輸送の手配に関わった商業の業者は何か。
    問丸
  9. 9
    室町時代、質物を取り、金銭を貸し付ける業者は何か。
    土倉
  10. 10
    室町時代、酒の製造・販売に加え、金融にも関わった業者は何か。
    酒屋
  11. 11
    室町時代、港を利用して物資の輸送に従事した船を何というか。
    廻船別解:回船
  12. 12
    15世紀、自治的な運営と対外交易で成長した和泉国の港町はどこか。
    堺
  13. 13
    室町幕府第8代将軍の時代、1467年に始まり京都で長く続いた内乱は何か。
    応仁の乱
  14. 14
    室町時代、応仁の乱で東軍の中心となった、管領家の人物は誰か。
    細川勝元
  15. 15
    室町時代、応仁の乱で西軍の中心となり、細川勝元と対立した人物は誰か。
    山名宗全別解:山名持豊
  16. 16
    室町幕府第8代将軍で、後継者問題が応仁の乱の背景の一つとなった人物は誰か。
    足利義政
  17. 17
    室町時代、1485年に畠山両軍を退去させ、住民らが自治を行った地域の一揆は何か。
    山城国一揆別解:山城の国一揆
  18. 18
    室町時代、1488年に一向宗の門徒らが守護を倒した加賀の集団行動は何か。
    加賀の一向一揆
  19. 19
    室町幕府第3代将軍のころ、公家と武家の文化が融合して展開した文化は何か。
    北山文化
  20. 20
    室町幕府第3代将軍足利義満が北山に造営した山荘を寺に改め、金閣を持つ寺院は何か。
    鹿苑寺
  21. 21
    室町幕府第8代将軍のころ、わびや簡素な美意識とも関わって展開した文化は何か。
    東山文化
  22. 22
    室町幕府第8代将軍足利義政が東山に営んだ山荘を寺に改め、銀閣を持つ寺院は何か。
    慈照寺
  23. 23
    室町時代、猿楽を大成し、世阿弥の父でもあった芸能者は誰か。
    観阿弥
  24. 24
    室町時代、観阿弥の子で、『風姿花伝』を著した芸能者は誰か。
    世阿弥
  25. 25
    室町時代、宋・元の絵画を学び、水墨画を大成した僧は誰か。
    雪舟
  26. 26
    室町時代、東山文化のころ、茶の湯に簡素な精神性を取り入れ、わび茶の基礎を築いた人物は誰か。
    村田珠光
  27. 27
    室町時代、関東で儒学の学習や書籍の収集が行われた学校は何か。
    足利学校
  28. 28
    室町幕府第8代将軍足利義政の時代に応仁の乱が始まった年は何年か。
    1467
  29. 29
    室町時代に山城国一揆が起こった年は何年か。
    1485
  30. 30
    室町時代に加賀の一向一揆で守護富樫政親が倒された年は何年か。
    1488

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