大正から昭和戦前期の一問一答と流れの解説
民衆の政治参加と社会運動から恐慌・戦争、1945年の敗戦までをたどります。まず流れの解説を読み、一問一答(35問)と、用語から説明を選ぶ4択で確認します。
一度の正解は「正解済み」、別の日にも正解すると「定着」と表示します。
流れの解説
大戦の影響と政党内閣
第一次世界大戦で欧州の国々が戦争に入ると、日本の輸出や工業には需要が増えました。日本は1915年に中国の袁世凱政府へ二十一か条の要求を提示し、中国との関係にも緊張を生みました。産業の成長がすべての人の生活を安定させたわけではなく、物価の上昇は収入の少ない人々を圧迫しました。1918年には米価の上昇を背景に、富山県から全国へ米騒動が広がりました。
同年、立憲政友会総裁の原敬が本格的な政党内閣を組織しました。大正デモクラシーと呼ばれる政治参加の動きの中で、吉野作造は政治の目的を民衆の利益に置く民本主義を説きました。美濃部達吉は天皇を国家の機関と捉える学説を展開しました。両者は同じ主張ではなく、それぞれ政治の運営や憲法の解釈に関わる議論を行いました。政党や議会、学者の言論が政治の担い手と仕組みをめぐる議論を広げました。
権利要求・選挙と大衆文化
1925年、加藤高明内閣の時代に普通選挙法が成立し、納税額による制限がなくなって満25歳以上の男子が選挙権を得ました。女性は対象外でした。同じ年の治安維持法は、国体の変革や私有財産制度の否認を目的とする結社などを取り締まりました。選挙権を広げる制度と、政治運動を規制する制度が同時期に作られたのです。
平塚らいてうは1911年に青鞜を創刊し、女性の言論や活動を広げました。1922年には全国水平社が結成され、被差別部落の人々が差別撤廃を求めました。農村では小作争議が起こり、労働者も待遇の改善を求めました。地方の自治や議会、地域の運動は国政と結び付き、雑誌・映画・ラジオなどの大衆文化は都市と地域へ情報を伝えました。政治参加と文化の拡大には、教育や通信の発達も関わっていました。
災害・恐慌と軍部の影響
1923年の関東大震災は首都圏へ大きな被害を与え、復興と金融にも影響しました。1927年には銀行の取り付けなどから金融恐慌が広がりました。1930年ごろには世界恐慌と金輸出解禁などを背景に昭和恐慌が深刻化し、企業や農村が苦境に置かれました。海外の需要の減少と国内の金融・財政の問題が重なり、生活の不安は政治への不満にもつながりました。
1931年、関東軍は柳条湖での鉄道爆破を契機に軍事行動を拡大し、満州事変が始まりました。1932年の五・一五事件では犬養毅首相が殺害され、1936年の二・二六事件では陸軍の青年将校らが政府要人を襲撃しました。軍部の行動と政治的な暴力は、政党が内閣を通じて政策を主導する条件を変えました。対外的な軍事行動と国内の政治の変化は、別々に進んだのではありませんでした。
震災の復興には住宅や交通、企業の設備を再建する費用が必要でした。金融の混乱は資金を貸す銀行だけでなく、その資金で営業する商店や工場へも及びました。農村でも商品の値下がりや借金が生活を圧迫し、都市と農村が市場を通じてつながる社会の弱さが現れました。生活の不安から政治の変更を求める声が広がっても、その要求が同じ政策や行動を支持したわけではありません。社会運動、政党の政策、軍部の主張がそれぞれ異なる形で危機に対応しようとしました。
日中戦争から戦時統制へ
1937年の盧溝橋事件を契機に日中戦争が全面化し、戦争は長期化しました。政府は1938年の国家総動員法によって人員と物資を戦争へ動員する権限を得ました。1940年、近衛文麿の新体制運動の下で大政翼賛会が設立され、既存の政党は解散しました。経済や社会の活動は、国家の戦争目的に応じて統制される範囲を広げました。
1940年の日独伊三国同盟、1941年の日ソ中立条約で対外関係が組み替えられました。同年12月、日本は真珠湾攻撃などを行ってアメリカ・イギリスとの戦争を始め、太平洋戦争へ進みました。1943年の学徒出陣は文科系の学生らの徴兵猶予を停止し、1944年からの学童疎開は空襲を避けて子どもを地方へ移しました。人員と物資の不足、空襲への対応は学校や家庭の日常を変えました。
戦争の終結と占領へ
戦局の悪化で都市への空襲が広がり、1945年の沖縄戦では住民を巻き込む地上戦が行われました。7月のポツダム宣言は米英中の名で日本へ降伏を求めました。8月6日に広島、9日に長崎へ原子爆弾が投下され、ソ連も参戦しました。軍事的な状況と外交上の条件が重なり、鈴木貫太郎内閣の日本政府はポツダム宣言の受諾を決定しました。
戦争の被害は軍人だけでなく住民にも及び、疎開や避難、家族の別離は戦後にも影響しました。犠牲者数や一つの歴史評価を正答として固定せず、出来事と政策が生活をどう変えたかを記します。1945年の敗戦によって、戦時の統治と動員の仕組みは占領下の改革へ移りました。次の章で扱う憲法・農地・労働・教育の改革は、その戦前と戦時の制度を変更する過程でした。
一問一答
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