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江戸幕府の成立と幕藩体制の一問一答と流れの解説

徳川政権の成立と大名・村の統制、海外交流をたどります。まず流れの解説を読み、一問一答(30問)と、用語から説明を選ぶ4択で確認します。

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一度の正解は「正解済み」、別の日にも正解すると「定着」と表示します。

流れの解説

関ヶ原から徳川氏の継承へ

1600年、徳川家康が率いる東軍は関ヶ原の戦いで西軍を破りました。勝利した家康は大名の領地を配置し直し、1603年に征夷大将軍へ任じられました。将軍職を徳川秀忠へ継承することで、徳川氏の政権が続くことを示しました。1614年と1615年の大坂の陣で豊臣氏が滅び、徳川氏に対抗する有力な政治の中心が失われました。大坂の役という呼称もあります。

江戸時代の政治は、将軍と大名がそれぞれの領地を治める幕藩体制として展開しました。大名は幕府の命令に従いながら、領内の年貢徴収や行政を担いました。将軍がすべての地域を同じ役人によって直接治めたわけではありません。幕府は有力者の領地と身分を認める一方、その軍事力が政権へ向けられないよう、法令や配置によって統制しました。

大名・朝廷・寺社の統制

1615年、第2代将軍秀忠の時代に武家諸法度が出され、大名の婚姻や行動などを規制しました。一国一城令は居城以外の城の破却を命じ、軍事拠点を制限しました。禁中並公家諸法度は天皇や公家の活動を規制しました。武家と朝廷では支配の対象や法令が異なり、朝廷そのものがなくなったのではありません。寺社も幕府の行政と統制の対象となりました。

大名には徳川氏の一門である親藩、以前から仕えた譜代大名、主に関ヶ原の前後に服属した外様大名という区分がありました。第3代将軍徳川家光は1635年に参勤交代を武家諸法度へ明記しました。大名が江戸と領国に交互に居住する制度は、幕府との関係を定期的に確認し、妻子を江戸に置く仕組みとともに統制を支えました。その移動は街道や宿場、領国の財政にも影響しました。

役職による政務の分担

幕府では老中が月番で政務全般を担当し、大老は臨時の最高職として将軍を補佐しました。若年寄は旗本・御家人の監督などを担い、大目付は大名の監視に関わりました。幕府を支える武士でも、大名と将軍直属の家臣では担当する役所が異なりました。政務を分担する制度は、将軍一人が全国の訴えや行政を処理する負担を補いました。

勘定奉行は幕府領の年貢や財政、町奉行は江戸の町の行政や裁判、寺社奉行は寺社の統制などを担当しました。土地・身分・所在地に応じて窓口が分かれ、役職同士が関わる案件もありました。大名の領内には別の家臣組織があり、幕府の奉行がすべての村や町を直接管理したわけではありません。幕府の役職と藩の行政が重なる政治の仕組みでした。

幕府の役職は、行政だけでなく裁判を通じて支配を維持しました。年貢の負担、寺社の権利、町の売買などは異なる分野の争いですが、文書で権利や決定を残す点は共通していました。将軍や大名の命令を地域へ伝えるには、役人が情報を集め、村役人や町の代表と接する仕組みが必要でした。軍事力による勝利の後に、日々の負担や訴えを処理する行政が整えられたことが、幕藩体制を維持する条件となりました。

村の年貢と身分の秩序

村は年貢をまとめて納める単位となり、名主・庄屋・肝煎などと呼ばれる村役人の長が取りまとめました。本百姓は田畑を所有して年貢負担の中心となり、水呑百姓は所有する土地が少ないか持たない人々でした。五人組は少数の家をまとめて、納税や治安などの連帯責任を負わせました。村には共同の運営がある一方、土地の所有や収入には差がありました。

武士・百姓・町人などの区分に加え、差別された身分の人々も存在しました。身分の秩序は税や職業、居住などと結び付き、人々の生活の条件を定めました。寺請制度は人々を寺院の檀家として登録し、キリスト教徒でないことを証明させる仕組みでした。宗教の統制は信仰の問題だけでなく、人々の所在や家を把握する行政にも組み込まれました。

渡航の制限と四つの交流経路

幕府初期には朱印船貿易が行われ、将軍の渡航許可状を持つ船が東南アジアなどへ向かいました。その後、海外渡航や外国船の来航への制限が強まりました。1637年に始まった島原・天草一揆には、重い負担などに苦しむ農民やキリスト教徒らが加わりました。幕府は鎮圧とキリスト教の禁止を進め、対外交流を限られた経路にまとめていきました。

長崎では中国やオランダとの交易が続き、対馬の宗氏は朝鮮との関係を仲介して朝鮮通信使を迎えました。薩摩を介する琉球との関係では王国の対外交易も関わり、松前を介する北海道の交易ではアイヌの人々と和人が接しました。これらの経路は相手や統治のあり方が異なります。海外交流が皆無になったのではなく、幕府と各地の領主が経路を管理する仕組みが作られました。

一問一答

問題一覧を開き、答えの帯を押すと答えが出ます。

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  1. 1
    1600年、豊臣政権の五大老の一人として関ヶ原で東軍を率いた人物は誰か。
    徳川家康
  2. 2
    1600年、東西の諸大名が美濃国で戦い、東軍が勝利した戦いは何か。
    関ヶ原の戦い別解:関ケ原の戦い、関ヶ原合戦
  3. 3
    1614年と1615年、徳川氏が豊臣氏を滅ぼすに至った二度の戦いは何か。
    大坂の陣別解:大坂冬の陣・夏の陣、大坂冬の陣と夏の陣、大坂の役
  4. 4
    江戸幕府の第2代将軍として、1615年に大名統制の法令を出した人物は誰か。
    徳川秀忠
  5. 5
    1615年、江戸幕府が大名の行動や婚姻などを規制するために出した法令は何か。
    武家諸法度
  6. 6
    1615年、江戸幕府が天皇や公家の活動を規制するために出した法令は何か。
    禁中並公家諸法度別解:禁中並びに公家諸法度
  7. 7
    1615年、江戸幕府が大名の居城以外の城の破却を命じた法令は何か。
    一国一城令
  8. 8
    江戸時代、将軍と大名がそれぞれの領地を支配する政治の仕組みは何か。
    幕藩体制
  9. 9
    江戸時代、将軍の一門に属する大名の分類は何か。
    親藩
  10. 10
    江戸時代、関ヶ原の戦い以前から徳川氏に仕えていた大名の分類は何か。
    譜代大名別解:譜代
  11. 11
    江戸時代、主に関ヶ原の戦いの前後に徳川氏へ服属した大名の分類は何か。
    外様大名別解:外様
  12. 12
    第3代将軍徳川家光が制度化し、大名を江戸と領国に交互に居住させた制度は何か。
    参勤交代別解:参覲交代
  13. 13
    17世紀、江戸幕府で、複数人が交代で月番を務め、政務全般を担当した職は何か。
    老中
  14. 14
    江戸幕府で、将軍を補佐する臨時の最高職として設けられた職は何か。
    大老
  15. 15
    17世紀、江戸幕府で、旗本・御家人の監督などを担当した、老中に次ぐ職は何か。
    若年寄
  16. 16
    17世紀、江戸幕府で、幕府領の年貢徴収や財政などを担当した奉行は何か。
    勘定奉行
  17. 17
    17世紀、江戸幕府で、江戸の町の行政や裁判を担当した奉行は何か。
    町奉行
  18. 18
    17世紀、江戸幕府で、寺社の統制などを担当した奉行は何か。
    寺社奉行
  19. 19
    17世紀、江戸幕府で、大名の監視などを担当した職は何か。
    大目付
  20. 20
    江戸時代の村で、年貢の取りまとめなどを担当した村役人の長は何か。
    名主別解:庄屋、肝煎
  21. 21
    江戸時代の村で、年貢や治安について連帯責任を負わせた少数戸の組織は何か。
    五人組
  22. 22
    江戸時代の村で、田畑を所有して年貢負担の中心となった農民は何か。
    本百姓
  23. 23
    江戸時代の村で、田畑の所有が少ない、または持たない農民は何か。
    水呑百姓別解:水飲百姓
  24. 24
    江戸時代、人々を寺院の檀家とし、キリスト教徒でないことを証明させた制度は何か。
    寺請制度別解:寺請制
  25. 25
    江戸幕府初期、将軍が渡航許可状を交付して認めた東南アジアなどとの交易は何か。
    朱印船貿易
  26. 26
    1637年に始まり、九州で農民やキリスト教徒らが幕府に抵抗した蜂起は何か。
    島原・天草一揆別解:島原天草一揆、島原の乱、島原・天草の乱
  27. 27
    江戸時代、対馬の宗氏を通じて来日した朝鮮の外交使節は何か。
    朝鮮通信使
  28. 28
    後陽成天皇の時代、徳川家康が征夷大将軍に任じられた年は何年か。
    1603
  29. 29
    17世紀、徳川家康の東軍が関ヶ原の戦いで勝利した年は何年か。
    1600
  30. 30
    第3代将軍徳川家光が参勤交代を武家諸法度に明記した年は何年か。
    1635

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