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明治維新と立憲国家の成立の一問一答と流れの解説

中央集権化と社会改革、領土画定と立憲国家の成立をたどります。まず流れの解説を読み、一問一答(30問)と、用語から説明を選ぶ4択で確認します。

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一度の正解は「正解済み」、別の日にも正解すると「定着」と表示します。

流れの解説

藩から中央の行政へ

1868年、明治天皇は五箇条の誓文で新政府の方針を示しました。新政府には、旧幕府に代わって全国の土地と人々を把握する仕事がありました。1869年の版籍奉還で諸藩が土地と人民を朝廷へ返上し、1871年の廃藩置県で藩を府県へ置き換えました。旧来の領主が個別に治める体制を、中央から任命される役人が行政を担う体制へ変えたのです。

北海道の開拓も、政府による領域の把握と地域の再編に関わりました。地方の制度を変えるには役人の配置、財源、軍事力が必要で、命令だけで人々の生活が一様になるわけではありません。1871年には岩倉具視を全権大使とする使節団が欧米へ派遣されました。国外の制度や技術を知る活動は、国内の行政や産業をどう整えるかという政府の課題と結び付きました。

教育・軍隊・税と身分

1872年の学制は全国に学校を設ける方針を示しました。1873年の徴兵令は満20歳の男子を兵役へ組み込み、武士だけが軍事を担う仕組みを変えました。同じ1873年に始まった地租改正では、土地所有者が地価を基準に金銭で税を納めました。収穫物を納める方法から金銭による納税へ変えることで、政府は収入の基準をそろえようとしました。

改革は新しい制度を利用する機会を広げる一方、就学費用や兵役、税の負担を人々に課しました。1871年の解放令は差別された身分の名称を廃しましたが、生活上の差別が直ちに消えたわけではありません。1876年の秩禄処分は家禄・賞典禄を金禄公債へ置き換えました。武士として生まれた家へ継続して俸禄を払う制度を改める政策は、政府の財政と士族の生活の双方を変えました。

殖産興業と政治の分裂

文明開化は欧米の制度や文化を取り入れる風潮で、都市の生活や教育にも表れました。政府は殖産興業で産業を育て、1872年に富岡製糸場を設けました。官営工場は外国の技術を導入し、国内で機械や作業方法を学ぶ場となりました。産業を発展させるためには設備だけでなく、技術者と労働者、製品を運ぶ交通、買い手となる市場が必要でした。

1873年には朝鮮への使節派遣をめぐって政府が分裂し、明治六年の政変が起こりました。政府を離れた人々は、反乱や議会を求める運動など異なる行動を取りました。1877年の西南戦争では、西郷隆盛を中心とする士族が政府に抗しました。新しい軍隊の整備は政府の鎮圧力を支えましたが、改革に対する不満は軍事的な反乱だけで表れたわけではありません。

民権運動から憲法と議会へ

1874年、民撰議院設立建白書が提出され、議会を設けて政治へ人々の意見を反映させる要求が示されました。自由民権運動は各地へ広がり、板垣退助らが自由党を結成しました。1882年には大隈重信が立憲改進党を結成しました。政党の形成は、政府への異議を武力ではなく議会や憲法の要求に結び付ける活動でした。

政府は1881年に国会開設の勅諭を出し、10年後の開設を約束しました。伊藤博文は憲法調査を進め、1885年の内閣制度で初代総理大臣となりました。1889年に大日本帝国憲法が発布され、1890年に帝国議会が開かれました。議会は衆議院と貴族院からなり、貴族院には皇族・華族・勅選議員などが加わりました。政府・天皇・議会の権限を定める制度が作られ、政治上の対立は予算や法律をめぐる議会の場にも移りました。

議会が開かれても、政治に参加できる人々は限られていました。衆議院の選挙権には納税額などの制限があり、女性は選挙に参加できませんでした。議会で政府の予算を審議する制度が作られる一方、軍隊や官僚組織には別の指揮や任命の仕組みがありました。自由民権運動の要求がすべて同じ形で制度になったのではありません。帝国議会の開設によって政府と政党が予算や政策を交渉する場が生まれ、立憲国家の制度をどのように運用するかが新しい政治の課題になりました。

国境の画定と地域社会

1875年の樺太・千島交換条約では、日本が樺太の権利を放棄する代わりに千島列島を得ました。1879年の琉球処分では琉球藩が廃され、沖縄県が設けられました。条約や行政措置によって国家の領域と統治を定める過程は、その土地で暮らす人々の生活や往来にも影響しました。ここでは措置の名称と内容を扱い、現在の領有権や外交問題の評価へ置き換えません。

中央の制度を広げることと、各地域の社会が同じになることは別でした。北海道や沖縄には独自の言語や文化、交易の歴史があり、学校や行政の変更はそうした生活との関係で進みました。廃藩置県、教育、軍隊、税、憲法と議会は互いにつながり、近代国家を運営する枠組みを作りました。その枠組みの中で条約改正や対外戦争、工業化が進む過程は次の章へ続きます。

一問一答

問題一覧を開き、答えの帯を押すと答えが出ます。

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  1. 1
    1868年、明治天皇が新政府の政治方針として示した誓約は何か。
    五箇条の誓文別解:五か条の誓文、五カ条の誓文
  2. 2
    1869年、諸藩が土地と人民を朝廷に返上した出来事は何か。
    版籍奉還
  3. 3
    1871年、新政府が藩を廃して府県に置き換えた改革は何か。
    廃藩置県
  4. 4
    1871年、欧米へ派遣された使節団の全権大使となった公卿は誰か。
    岩倉具視
  5. 5
    明治政府が欧米を参考にして政治・経済・文化の変化を進めた風潮は何か。
    文明開化
  6. 6
    1872年、全国に学校を設ける方針を示した教育制度の法令は何か。
    学制
  7. 7
    1873年、満20歳の男子を兵役に就かせる制度を定めた法令は何か。
    徴兵令
  8. 8
    1873年、土地所有者が地価を基準に金銭で税を納める仕組みへ変えた改革は何か。
    地租改正
  9. 9
    明治初期、政府が産業の育成を進めた政策の総称は何か。
    殖産興業
  10. 10
    1872年、群馬県に設置された官営の模範的な製糸工場は何か。
    富岡製糸場
  11. 11
    1871年、江戸時代の差別された身分の名称を廃止した布告の通称は何か。
    解放令別解:賤称廃止令
  12. 12
    1876年、士族などへの家禄・賞典禄を公債に置き換えた処分は何か。
    秩禄処分
  13. 13
    明治政府が士族などへの俸禄を公債に置き換える際に交付した証書は何か。
    金禄公債
  14. 14
    1873年、朝鮮への使節派遣をめぐって政府が分裂した政変は何か。
    明治六年の政変別解:明治6年の政変
  15. 15
    1877年、西郷隆盛を中心とする士族が九州で起こした反乱は何か。
    西南戦争
  16. 16
    1874年、政府に議会の設立を求めて提出された文書は何か。
    民撰議院設立建白書
  17. 17
    明治前期、議会の開設や憲法の制定などを求めた政治運動は何か。
    自由民権運動
  18. 18
    明治前期、自由党を結成し、議会の開設を求めた土佐出身の政治家は誰か。
    板垣退助
  19. 19
    1882年、立憲改進党を結成した佐賀出身の政治家は誰か。
    大隈重信
  20. 20
    1881年、10年後の議会開設を約束して出された天皇の命令は何か。
    国会開設の勅諭
  21. 21
    明治前期、憲法調査のためヨーロッパへ赴き、初代内閣総理大臣となった人物は誰か。
    伊藤博文
  22. 22
    1885年、太政官制に代わって設けられ、総理大臣と各大臣が政務を担う制度は何か。
    内閣制度
  23. 23
    1889年、明治天皇の名で発布された国家の基本法は何か。
    大日本帝国憲法別解:明治憲法、帝国憲法
  24. 24
    1890年、大日本帝国憲法の下で初めて開かれた立法機関は何か。
    帝国議会
  25. 25
    明治時代の帝国議会で、皇族・華族・勅選議員などから構成された議院は何か。
    貴族院
  26. 26
    1875年、日本が樺太の権利を放棄する代わりに千島列島を得た条約は何か。
    樺太・千島交換条約別解:樺太千島交換条約、千島樺太交換条約
  27. 27
    1879年、琉球藩を廃し沖縄県を設置した一連の措置は何か。
    琉球処分
  28. 28
    明治政府が廃藩置県を行った年は何年か。
    1871
  29. 29
    明治政府が地租改正を開始した年は何年か。
    1873
  30. 30
    明治天皇が大日本帝国憲法を発布した年は何年か。
    1889

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