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奈良時代の一問一答と流れの解説

律令の運用、土地政策、政治と仏教・文化をたどります。まず流れの解説を読み、一問一答(30問)と、用語から説明を選ぶ4択で確認します。

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一度の正解は「正解済み」、別の日にも正解すると「定着」と表示します。

流れの解説

平城京と国家の記録

710年、元明天皇の時代に都が平城京へ移されました。宮の周囲に官司や寺院を配置し、官人が集まって政務を行う都は、地方から運ばれる税や物資によって支えられました。中央の神祇官は神々の祭祀を担当しました。地方では中央から派遣された国司と、地域の有力者から任じられた郡司が行政を担い、朝廷の命令を人々の生活へ伝える役割を持ちました。

国家が歴史や地域を記録する仕事も進みました。太安万侶は稗田阿礼の伝承を記録して古事記を献上し、720年には舎人親王らが編纂した日本書紀が完成しました。各地の地名・産物・伝承などを報告させた風土記は、地方の情報を中央に集める資料です。これらの記録は当時の出来事をそのまま写したものではなく、編纂の目的や伝承の内容を含みます。歴史書と地方の報告書は、成立の事情も扱う内容も異なりました。

戸籍・班田と税の負担

律令国家は戸籍で人口や身分を把握し、計帳で毎年の租税徴収に必要な情報を集めました。原則6年ごとの戸籍と、毎年の計帳では役割が異なります。班田収授法は一定の年齢に達した人々へ口分田を割り当てる制度で、人数や身分を把握する記録が土地の配分と結び付きました。土地を与えることと、そこから税を徴収することが国家の財政の基盤でした。

租は田の収穫から稲で納め、庸は都での労役に代えて布などを納め、調は地方の特産物や布などを納める税でした。国司のもとでの労役には雑徭があり、春に稲を貸して秋に利息を付けて返させる出挙も行われました。人々は収穫の一部を納めるだけでなく、運搬や労働にも時間を使いました。都に運ぶ税と地方で扱う税は同じではなく、自然災害や収穫の不振は制度の運用と農民の生活の双方に影響しました。

地方の特産物を都へ運ぶことは、税を用意することとは別に人手や日数を必要としました。家に残って耕作する者が減れば、次の収穫にも影響します。戸籍に登録された人数と、実際に暮らす人々の所在に違いが生じることは、土地の配分と徴税の双方を難しくしました。国家は人々を帳簿で把握しようとしましたが、耕地の開発や人口の移動、収穫の変化によって運用条件は変わりました。このため土地政策や行政は、完成した律令をそのまま繰り返すだけでは維持できませんでした。

開墾を促す法と私有地

人口や耕地の問題に対応するため、国家は新たな開墾を促しました。723年、元正天皇の時代に出された三世一身法は、開墾地の所有を期限付きで認めました。しかし期限が過ぎれば土地を失う仕組みでは、長い期間にわたって資金や労働を投じる動機が弱くなります。743年、聖武天皇の時代に出された墾田永年私財法は、新たに開いた土地の永続的な私有を認めました。

開墾地を私有できることは、農民だけでなく貴族や寺社にも開発を進める理由を与えました。労働力や資金を集められる有力者は土地を広げ、後の荘園につながる土地所有の基盤が生まれました。墾田永年私財法が出されたからといって、班田や公的な徴税の仕組みがその日に消えたわけではありません。国家による土地と人民の把握を続けながら、私有地の拡大を認める制度が併存したのです。

疫病・政争と仏教の事業

聖武天皇の時代には天然痘の流行で藤原四兄弟らが死亡し、政治を担う人々の構成が変わりました。740年には大宰府で藤原広嗣の乱が起こり、遣唐使経験者らの排除を求める動きが武力による反乱になりました。疫病や政争が重なる中で、聖武天皇は仏教によって国家を守ることを求め、国ごとの国分寺と奈良の東大寺の造営を進めました。

大仏造立では、行基が人々の協力を集める役割を果たしました。行基は民衆への布教や土木事業にも関わり、国家の大事業と地域の人々をつなぎました。752年、孝謙天皇の時代に東大寺大仏の開眼供養が行われました。754年には唐の僧鑑真が来日し、戒律を伝えました。仏教の事業は信仰だけでなく、労働や物資、僧侶の資格、唐との往来に関わる活動でした。

政治の対立と天平文化

奈良時代後半には、藤原仲麻呂が恵美押勝の名を与えられて権勢を持ちましたが、朝廷内の対立から反乱に至りました。称徳天皇の時代には、道鏡の皇位継承をめぐる神託が政治の問題となり、和気清麻呂が宇佐八幡宮の神託を確認しました。皇位や有力者の地位をめぐる争いには、仏教や神々の権威も関わっていました。

正倉院の宝物は、東大寺に伝わる品々を通して宮廷生活や技術、広い地域との交流を示します。遣唐使を通じて知識や物品が入り、寺院や国家の事業に取り入れられました。一方、万葉集には大伴家持が編纂に関わったとされる歌が集められ、宮廷や地方の生活を伝えます。国家の記録や大寺院の造営と、人々の言葉による表現が、同じ律令社会の異なる側面を残しました。

一問一答

問題一覧を開き、答えの帯を押すと答えが出ます。

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  1. 1
    元明天皇の時代、710年に都が移され、奈良に造営された都は何か。
    平城京
  2. 2
    元明天皇の時代、天武天皇の命を受けた稗田阿礼の伝承を記録し、『古事記』を献上した人物は誰か。
    太安万侶
  3. 3
    元正天皇の時代、舎人親王らが編纂し、720年に完成した漢文の歴史書は何か。
    日本書紀
  4. 4
    元明天皇の時代、諸国に命じて地名・産物・伝承などを報告させた地誌は何か。
    風土記
  5. 5
    奈良時代の律令国家で、神々の祭祀を担当した中央の官司は何か。
    神祇官
  6. 6
    奈良時代の地方行政で、中央から国へ派遣された役人を総称する語は何か。
    国司
  7. 7
    奈良時代の地方行政で、地域の有力者から任じられ、郡を治めた役人は何か。
    郡司
  8. 8
    奈良時代の律令国家で、人口や身分を記録し、原則6年ごとに作られた帳簿は何か。
    戸籍
  9. 9
    奈良時代の律令国家で、租税徴収のため原則毎年作成された帳簿は何か。
    計帳
  10. 10
    奈良時代の律令国家で、一定の年齢に達した人々に口分田を割り当てる制度は何か。
    班田収授法
  11. 11
    奈良時代、口分田の収穫から稲で納めた税は何か。
    租
  12. 12
    奈良時代、都での労役に代えて布などを納めた税は何か。
    庸
  13. 13
    奈良時代、地方の特産物や布などを納めた税は何か。
    調
  14. 14
    奈良時代、国司のもとで課された一定期間の労役は何か。
    雑徭
  15. 15
    奈良時代、春に稲を貸し付け、秋に利息を付けて返させた仕組みは何か。
    出挙
  16. 16
    元正天皇の時代、723年に開墾を促すため土地の所有を期限付きで認めた法は何か。
    三世一身法
  17. 17
    聖武天皇の時代、743年に新たな開墾地の永続的な私有を認めた法は何か。
    墾田永年私財法
  18. 18
    聖武天皇の時代、藤原四兄弟らが死亡し、政治にも影響を与えた感染症は何か。
    天然痘
  19. 19
    聖武天皇の時代、740年に大宰府で起こり、遣唐使経験者らの排除を求めた反乱は何か。
    藤原広嗣の乱
  20. 20
    聖武天皇の時代、国家を仏教によって守るため、国ごとに建立を命じた寺院は何か。
    国分寺
  21. 21
    聖武天皇の時代、奈良に造営され、大仏の開眼供養が行われた寺院は何か。
    東大寺
  22. 22
    聖武天皇の時代、大仏造立の協力を求められ、民衆への布教や土木事業でも知られた僧は誰か。
    行基
  23. 23
    孝謙天皇の時代、754年に来日し、戒律を伝えた唐の僧は誰か。
    鑑真
  24. 24
    奈良時代の天平文化を示し、東大寺に伝わる宝物を収めた倉は何か。
    正倉院
  25. 25
    淳仁天皇の時代、藤原仲麻呂が与えられ、反乱の名称にも用いられる名は何か。
    恵美押勝
  26. 26
    称徳天皇の時代、宇佐八幡宮の神託を確認し、道鏡への皇位継承に反対した人物は誰か。
    和気清麻呂
  27. 27
    奈良時代を中心とする歌を集め、大伴家持が編纂に関わったとされる歌集は何か。
    万葉集
  28. 28
    元明天皇の時代に平城京へ遷都した年は何年か。
    710
  29. 29
    聖武天皇の時代に墾田永年私財法が出された年は何年か。
    743
  30. 30
    孝謙天皇の時代に東大寺大仏の開眼供養が行われた年は何年か。
    752

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